追憶 – コロニアルヌーンから

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コロニアルヌーンの記憶

コロニアルヌーンをカップに注ぐと、柔らかく芳醇な香りがふわりと立ち上る。まるで魔法のように、その香りが私を瞬時に過去へと誘う。ASHBYSのコロニアルヌーン、この紅茶はかつて英国王室に献上されたこともあるという。そんな上質な紅茶を前にすると、自然と過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。

高校を卒業したばかりの頃、私は実家の喫茶店に何となく入った。当時の私は何の技術も知識もなく、ただ漠然と「パンを焼きたい」と思いついた。親に無理を言い、半ば強引にパンを焼くための機械を購入したが、当然のごとく扱えなかった。途方に暮れた末、冷凍生地を仕入れ、神戸屋へと3日間だけ修行に出た。たった3日間の修行ではあったが、なんとかパンは焼けるようになった。それだけでも嬉しくて、希望に溢れていた。

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しかし、やはりどこか満足できなかった。「自分で生地を捏ねてみたい」と強く願った私は、本格的にスクラッチ製法に挑戦した。もちろん簡単にうまくいくはずもなく、何度も失敗を繰り返した。近所のパン屋に駆け込み、その店のオーナーに頼み込んで指導を受ける日々だった。親の喫茶店の厨房は、私の粉だらけの失敗作で溢れかえった。

この頃、紅茶やコーヒーにはまだまったく関心がなかった。ただひたすらにパンを焼き、失敗を繰り返しては自問自答を繰り返す毎日だった。

そして、次に私を惹きつけたのがケーキ作りだった。当時の私は何でも無理を通した。地元の人気ケーキ店に無理を言い、厨房に入れてもらったのだ。断られても諦めず、何度も足を運んではようやく許可を得た。そこでプロの技術に触れ、毎日のように試作と失敗を重ねた。あの頃世話になったケーキ店も、時代の波に飲まれて今はもう存在しない。甘い香りと共に、少しの寂しさが心に染みる。

そしてある時、ふとコーヒーに惹かれた。何の知識も無いまま、勢いだけでブラジル行きを決めたのだ。周囲は呆れ顔だったが、若さゆえの無謀さで現地へ飛んだ。言葉も文化も違う異国で何を学んだかはっきり覚えてはいない。ただ、あの時感じた熱気や匂いだけが胸に残った。

それから運命のように出会ったのが紅茶だった。初めてスリランカを訪れた時、その美しい茶畑に心を奪われた。お金がなかった私は現地の知り合いの家に泊まり、何度も農園や工場を訪れた。その後、紅茶への情熱は止まらず、インド、台湾、中国へと旅を重ねた。農園を巡り、オークション会場を訪れ、現地のお茶屋さんに通った。数えきれないほどのお茶を飲み、失敗も成功も積み重ねた。

ASHBYSの紅茶との出会いが訪れたのは、日本の展示会だった。ある業者から「ティーバッグを作れるか?」と尋ねられ、「作れます」と即答した。機械の価格が一千万を超えるとは知らず、リース会社に必死に頭を下げて機械を導入した。その日から、自社の紅茶とASHBYSの紅茶をティーバッグ化し始めた。

この紅茶との出会いが多くの新しい出会いをもたらし、私の人生を豊かにした。

だからこそ、ASHBYSのコロニアルヌーンを飲むたびに、鮮明な記憶が次々と溢れてくるのだ。

柔らかい午後の光の中で、私は再びカップを口に運ぶ。過去が再び、生き生きと蘇り始めた。

しかし、紅茶の販売はただただ大変だった。国内の市場はすでに輸入紅茶で溢れかえり、有名でない紅茶はどれほど品質が良くても売れない現実に直面した。少量しか仕入れられないため価格は高くなり、さらに消費者から敬遠される悪循環だった。

展示会にも積極的に出展したが、新規顧客との契約は稀だった。来場者の多くはただサンプルを欲しがるばかりで、本当の取引にはなかなかつながらなかった。

紅茶の繊細な特徴や良さを理解してもらうのは非常に難しい。アールグレイのような分かりやすい香りでなければ、多くの人の関心は得られなかった。陶磁器メーカーのノリタケとも同じ話で盛り上がった。実は、私の会社がノリタケの紅茶製品を担当しているのだが、良い陶磁器や良い紅茶を作ったからといって売れるわけではない時代だった。今は100円ショップで手軽に買える商品が主流の時代なのだ。

ノリタケのスリランカ工場は紅茶畑に囲まれた美しい場所にあった。何度か訪れたことがあるが、陶磁器の世界でも高級ブランドとして日常的に使ってもらえる価値を認めてもらうのは難しくなっていると感じた。

子供たちの味覚は年々鋭敏になり、本当に美味しいものでなければ見向きもしなくなった。しかし、それが逆に紅茶離れを加速させているような気がしてならなかった。良いものを適正な価格で提供するだけでは通用しない時代に、私は深い溜息をつきながらコロニアルヌーンをまた一口飲んだ。

相手のためにと頑張っても、結局ビジネスは冷酷だった。ただ利用されるだけで、感謝の言葉すら期待できない。お金を払えばそれで当然という冷たい現実に私は何度も打ちのめされた。食うか食われるかの世界で、私はただただ食われる側の弱者だった。

利用されなくなれば、仕事は自然と消滅する。私のビジネスは静かに終焉へと向かっていた。

市場の主役はもはや美味しいものではなく、目立つものだった。しかしそれでも私は信じたかった。最後に勝つのは本当に美味しいものだと。再びコロニアルヌーンの香りに包まれながら、私はその淡い希望を胸に抱き続けた。

おいしいものをおいしいと言って飲んだり食べたりできる。それがすごい幸せ。

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