指示されたことだけ

 春の午後。陽射しが窓から差し込む中、瑞希は机に向かってパソコンをカタカタと叩いていた。頼まれたプレゼン資料を、丁寧に、見やすく、そしてわかりやすく仕上げようと、昼食も後回しにして取り組んでいた。

 頼んできたのは、同じ職場の先輩、佐伯だった。

「忙しいから、これ、ちょっとまとめといてくれる?」

 それだけの一言だったけど、瑞希は「ちょっと」の裏に潜む意図を読み取ってしまう癖があった。どうせだったら喜んでもらいたい、助かったって思ってもらいたい。だから、必要以上にグラフを整え、見出しの色を変え、注釈まで丁寧に入れた。

 そして午後三時、印刷した資料を手に佐伯のデスクへと向かった。

「お疲れさまです、まとめておきました。ここ、相手の質問に出そうな部分も補足入れておきました」

 佐伯は資料をパラパラとめくり、数秒で顔をしかめた。

「うーん……ごめん、ここ、余計な情報入ってて逆にわかりづらいわ。頼んだのは“要点の整理”だけだよね?」

 瑞希の手が一瞬、宙に浮いた。

「あ……そう、ですね……すみません」

 謝る声は小さく震え、胸の中に溜めた熱が、一気に冷めていった。

 帰り道、コンビニのビニール袋を片手に、瑞希はぽつりと呟いた。

「なんで、こんなに疲れてるんだろう」

 喜んでほしくて、やってあげたのに。嬉しいって、助かったって言葉を、期待していたのに。返ってきたのは冷たい「余計」だった。

 その夜、彼女は一枚のメモを書いた。


明日からやること:

• 頼まれたことだけをやる

• 想像で“相手のため”を考えすぎない

• 自分をすり減らさない


 次の日から、瑞希は淡々と仕事をこなした。佐伯に何か頼まれても、言われた通りにだけ動いた。

 不思議なことに、それだけで十分だった。いや、それが“ちょうどよかった”のだ。

 そして、瑞希は少しずつ笑顔を取り戻した。

 人のために何かするって、尊いことだ。でも、その「誰か」が、それを受け取る器を持っていなければ――それはただ、自分の心をすり減らすだけ。

 そう気づいた瑞希は、もう無理に誰かの期待を想像して動くことをやめた。

 頼まれたことだけをする。それが、彼女の優しさを守るための境界線になった。

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